第7回 新入社員研修
「介護の定義」について
「看護」という用語が日本の法令で使われるようになって250年、また「医療」は1000年。それでは「介護」はどれくらい経つでしょうか?答えは60年です。老人福祉法第11条では「身体上又は精神上著しい障害があるために常時の介護を必要とし」という文言で1963年に著されています。また、「介護福祉士」は1987年に初登場しています。このことから介護の歴史は、まだ新しいことが分かります。介護は「日常生活の中で、私たちが当たり前のようにおこなっているものであり、福祉サービスの原形というべき援助の形である。ところが、その一つ一つのサービスが日常的なあたりまえの行為であったために科学的な視点からの考察・研究の取り組みが遅く、専門性が低いという評価をされてしまっていた。毎日誰しもが行っている生活行為を支援するのであれば、素人でも出来るのではないかとの意見もあり、これが科学的でない為介護の評価はこれまで低く見られてきました。」とお話がありました。
生活支援は誰しもがおこなっています。普通の生活は自分でおこなうので理解出来ますが、認知症の方の生活は経験がない為、理解出来ません。だからこそ皆さん悩んでしまうのです。経験したことに無い生活を私たちは学びながら、その方が普段通りの日常生活を送る為には、どのような生活支援が必要なのかを考えるのがプロの介護士に求められているものとご教授いただきました。
「狭義の介護」と「広義の介護」について
狭義としての介護(介護技術)とは、広義の介護(人間理解)ではないということがあります。本当の意味では、介護士は広い介護をするべきです。しかし、定義とは狭い部分の専門性をいいます。もちろん狭義の介護とはいえ、今日言われているところの介護技術を指している事ではないことは明らかであるとお話がありました。①「狭義の介護」では介護技術・援助技術が存在し介護技術ではADL対応(医学・運動学・リハビリ医学)やIADL対応(家政学・建築工学)それぞれを学ぶ必要があり、援助技術は社会福祉学の援助技術を学ぶ必要性があります。②「広義の介護」(人間理解)では他者理解と自己理解が存在し他者理解では絶対存在(哲学・精神医学)社会的存在(心理学・法学・社会学)を学び、自己理解では家庭的存在(宗教学・教育学・余暇学)を学ぶ必要があります。
人間は感情の動物であり、相手の感情に働きかけるようなコミュニケーションによって専門家として自分の成長に繋がります。また、自己理解では余暇学、すなわちレクリエ―ションも学ぶ必要性があります。認知症の方に対してどのような余暇活動を提供していくかによって、表情も豊かに笑顔で楽しく過ごして頂けるかを考える事も大切であるとお話が有りました。介護の学びでは学問も大切ですが遊びに関しての知識も、利用者様とのより良い関り方に繋がります。介護の基本は相手の望むことを相手が望むように提供することであり、これが私たちの仕事になります。ところが、サービスを提供しようとするときに、まずは他者理解がなされていなければいけません。つまり、援助者には相手が望むことを確実に理解できる能力が必要とされます。相手の方が怒っている時には、なぜ怒っているのだろうと、これを理解できる能力がなければ関わる事が難しいです。会話を通しながらどの部分で怒っているのかを推測しながら解消していく事、相手の思いを理解する事が思いやりであり、相手の思いを理解できる学びも重要であるとご指導いただきました。
今回のカリキュラムにて、介護の定義について学びを深める事が出来ました。専門的な知識や技術の必要性や他者理解、自己理解での相手の方が何を考え、何を求めているのかを理解する能力の重要性を改めて学ぶことが出来ました。狭義の介護(介護技術)と広義の介護(人間理解)のどちらもしっかりと学び自分の専門性を磨いていきたいと自信に繋がるカリキュラムとなりました。
研修で学んだ事を活かし、利用者様が毎日笑顔で過ごして頂けるサービスが提供できるようにこれから頑張ります。
田中先生、本日はありがとうございました。
※研修は受講者の体調・体温・接触管理・ワクチン接種・手指消毒等、室内換気も徹底して行っています。